地方出身者ゆとりの主張

これは、世の中や生活に関する雑記である

時間売りのサラリーマン

サラリーマンとはどんな商売か。

 

それは自分の時間を切り売りして賃金を得ているのに過ぎない。

 

大層なことをいってそこに人生の意義を見出したり、社会貢献とか「社会人とは」みたいなことを言って、デコレーションするのが昨今の風潮だが、根本は結局「時間屋」なのである。

ある意味これは楽な商売で、結果が出せなくても会社にいれば給与がもらえる。もちろん怒られたり、降格やクビになることもあるだろうが、結果に拘泥する必要がないぶん社長や個人商店の店長に比べたらマシかもしれない。

 

勿論その分、きつい部分もある。それは「時間売り」ならではの理由にある。

 

社長や株主は自分たちがもつお金や機械設備、会社を用いてお金を稼ぐ。稼いだお金でさらに設備投資して資産を増やして、次の金もうけを考える。これはお金や設備には上限がないから無限の世界である。

その一方、サラリーマンが売る「時間」というものには上限がある。1日は24時間だし、睡眠時間とか生きるのに必要な時間を抜いたら更に少なくなる。いくら成功した人やエリートでも時間が増えることはない。お金になる資産が有限なのが時間売りの辛いところである。

最近はサラリーマンでも投資を行っている人が増えているが、これはこの「有限の世界」から「無限の世界」に移ろうと試みているのだろう。

 

さてさて、時間売りは24時間を何に使おうか選ばないといけない。仕事の時間、睡眠の時間、家族と過ごす時間、家事をする時間・・・配分しないといけないものは尽きない。必要なことに時間を配分し終わると、余った時間が自由に使える時間となるのだが、どのぐらい残ったのだろうか。おそらくほとんどの人は1時間も残っていないのではないだろうか。しかもその少ない時間は大概の場合、ぼーっとするか睡眠時間に代わる。

 

結局のところ時間売り屋は定年まで人生のほとんどを他人に売ることになる。初めて24時間をフルに自分のやりたいことに費やせるのは65歳を過ぎてからということだ。さてさて、ベンジャミンフランクリン曰く「Time is Money.」というが、果たしてこの現実を理解したとき、時間売り屋は「時間とお金」は等価値だと思うのだろうか?

 

それとも時間にお金以上の価値を見出し、時間売り屋から転職しようと試みるのか。

ブログに書留めよう。

 今日からブログを開始します。

 このブログは、徒然なるままに日々考えたことを書き留めるためのものです。

私は地方出身者で現在首都圏在住ですが、最近疲れてます。

 

 なんでかというと、

 

 世の中に対する主張や日々感じたことをアウトプットできずに、

頭に毒素のように溜まっちゃっているからです。

 

 なので、ここで溜まっているのを吐き出そうと思います!!

 

 まあ、それだけだとお堅いブログになっちゃいますし、

私自身も毒素を抜くためなのに、出した毒素が戻ってきてしまう

ブログにするのも嫌なので、生活の雑記も書いていこうと思います。

 

 気軽に書いていくので、宜しくお願いいたします。